飛行機でどんな人と隣り合わせるか気にならない人はいないだろう。

12時間もかかるロンドンへのフライト、指定された席へ行くと隣の席にはひと目でインド系と分かる浅黒い顔をした大柄な男が座っていた。

 

そいつは大きなおなかに毛むくじゃらな腕をして、体も足もだいぶ自分の席をはみ出している。

「むむむ・・・こりゃ12時間たいへんかな」と思ったが、「袖擦れ合うも他生の縁」ちょっと会釈して座った。

 

しばらくして彼は話しかけてきた。「おしごとですか?」きれいな発音の日本語である。

外国人が付け焼刃で覚えた日本語ではない。「私は親戚の結婚式へいくんですよ、家族連れて行くのはたいへんです」と聞きもしないのに彼は話し出す。

 

見ると窓際の席には彼の娘らしい小さな女の子が座っている。

彼女は人見知りせず私に話しかけてきた。「あのねぇ、カリンがどうしてもパパと行きたいといったのよ」彼女が話す日本語はまったく普通の日本語だ。お母さんは日本人なんだろうな、と思わせる顔をしている。きっと日本の学校に通っているんだ。小学校三年だという。にわかに親近感が増す。

 

彼はインド人ではなくパキスタン人だった。食事は事前にオーダーしてあったベジタリアン食が運ばれてきた。スナックのプレッツェルが配られた時にも「これ、豚入ってませんか?」ときいてきた。イスラム教徒なのである。ちなみに英語はほとんどしゃべれない。普通の日本人と同程度の英語力である。プレッツェルの袋に表記されている内容物の英語表示もあまり分からないらしい。

イギリス人クルーは彼を見て当然のように英語で話しかけるが私が横から通訳する。なんだか不思議な光景である。

 

彼は群馬に住んでいる。

製麺工場で奥さんと働いている。後ろの席にはその奥さんとカリンちゃんのおにいちゃん、おねえちゃんも座っているのがわかったので、挨拶する。

 

この時お母さんはとても口数が少なかった。私の印象があまりよくなかったのかと思ったが、実はそうではなかった。 飛行機に乗り合わせたブラジル人とポルトガル語で話しだすとにわかに饒舌になっていた。そうか、お母さんは日本人じゃなくて南米の日系人だったのか。

 

彼らはもう二十年も前橋に住んでいる。おとうさんはパキスタンの、お母さんはブラジルのパスポートのままだが、子供たちは日本の環境で育ち、日本の習慣の元で自分自身を認識している。

つまり、日本食を自分の食事だと認識するし、日本的な清潔さを快適だと感じる。

 

カリンちゃんはこれからも日本で育っていく。

顔は少し日本人らしくなくても、完璧な日本語でほとんど完全に日本人となる。日本という安全で快適な国の常識が彼女の常識になる。自分のパキスタンのパスポートで父の国へ行くのはストレスいっぱいの外国旅行で、外国の日本に帰ってきてほっとする。

 

しかし、どんなに日本を故郷として育っていっても、何十年日本に居ようとも、それだけでは日本のパスポートはもらえない。 日本人にはなれない。それが日本の国籍法なのである。

 

日本の国は冷たい、だろうか?

外国からの亡命者をほとんど受け入れない日本は国際社会の責任を果たしていないという声もある。しうし、こういう厳しい国籍法があるからこそ、我々の持つ日本のパスポートは海外で絶大な信用を得ているのだ。日本がここまでこの治安の良さを保ってこられたのもきびしい帰化条件があればこそだ。これをにわかに改める必要はない。一度開いた扉はそう簡単に閉められなくなる。

 

改めるべきなのは法律ではない。

私も含めた日本人一人ひとりの外国アレルギーだ。

 

生まれたときから何の疑いもなく日本人をやっている自分。日本人の子供として生まれて何の疑いもなく日本人をやっている子供達。カリンちゃんはまわりのフツーの日本人の子供たちとの違いをだんだんと飲み込みながら育っていく。

 

彼女にはやがて真剣に自問する時がくる。

「なぜ私は日本人ではないのか?」。その問い自体は何も悪いことではない。国籍の違いはあっても、人は自分のおかれた状況に疑問を抱かないで成長はできない。

 

彼女はきっとどこかで壁にぶつかるだろう。

それは就職しようとするときなのかもしれない、誰かと結婚しようとするときなのかもしれない。

 

一番重要なことは彼女の困難な状況を変えることの出来る日本人がまわりに居るかどうか、だ。

日本人でなくても日本人と同様に日本を祖国として育っている人に対して、先入観無しに評価できる日本人が必要だ。

 

「国籍や肌の色で先入観を持たずに人を評価するべき」もちろん誰でも分かっている。それでも私も「暗がりで黒人の大男と目が合うとなんとなく怖く感じてしまう」日本人なのだ。

 

となりのパキスタン人=フセインさんは話す。彼の働く麺工場の日本人の一人に、外国人に道を尋ねられると必ず逆を教える奴がいるのだそうだ。 「そんな意地悪しなくてもいいのに、ほんとにはらがたつよ」。

 

しかし、いろいろな国で少なからず差別的な嫌な目に遭ってきた私には、そいつがなぜそんな意地悪をするのかわかる気がする。捻じ曲がった根性の日本人がいるのは想像がつく。外国や外国人に嫌な目に遭ったとき、それを異文化や外国人のせいにしないで居られる人はそう多くない。

 

ロンドンへの到着が近くなって隣のフセインさんは言った。

「おはなしできてよかった。以前となりに座ったおじいちゃんは私が日本語で話しかけているのに一言も聞きもせず、こちらに顔も向けないで手を横に振るばっかりだったんですよ」

 

今度飛行機に乗った時、あなたの隣に毛むくじゃらの大男が足を広げて座っていたとしても、とにかく一言はなしをしてみようじゃありませんか。すべての理解は対話からはじまるのです。