2005年記

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オペラ座からホテルへ帰る95番のバスを反対に乗ってしまい、気がついたときにはまわりが真っ黒だったそうだ。彼女達が着いたのはパリの環状線の北側クリニャンクール。ここは大きなのみの市があり、黒人や移民が多い。

 

二人の女の子が「やばい!」と思ったのも束の間、かけていた眼鏡が飛んで、たくさんの黒い手が伸びてきた。「きゃぁ!」鞄だけじゃなく、身体中さぐられてひとりがパニックになった。その時もうひとりの子は逆にシッカリして「こっちよ!」とパニックになった子の手を引っ張りその場を逃れた。

 

おびえきった二人が地下鉄を待っているときに、どこかへ飛んでいた眼鏡を白人の少年が持ってきてくれたそうだ。言葉はわからなくても「大丈夫だから」と言ってくれていた。きっと一部始終を見ていて心配してくれたのだ。そこでいっきに涙が出たそうだ。

 

 こういう経験をして、夕食の時間に遅刻して帰ってきた彼女たちが黒人差別主義者になってしまっているのを誰が責められる? 

 

それまでの彼女たちは学校で「ひとを差別する事はいけない事だ」と教えられ、観念でそう理解していた筈だ。日本で黒人に何か尋ねられたら、ちょっとびっくりはしても親切にしてあげなくては、と思っていただろう。しかし、身をもって感じた印象というのは学校の絵空事よりも、何よりも強い影響を及ぼす。「黒人も人それぞれで、良い人もたくさんいる」のだと分かっていても…これからどんな態度をとってしまうか、想像はつく。

 自分が本当にいやな経験をして、それでもなお、そんな異文化を快く思いつづける事は難しい。「人種で人を差別しない」という事は、そういった自分にとっては不快と感じる事もあえて呑み込んで、ひとつの価値観として認めてしまえる強さ・度量のひろさを持ち合わせる、という事だ。近頃日本に外国人が増えたとはいっても、まだまだ同じ種類の顔と言葉ばかりの間で暮らしている我々には、人種差別という事の本当の意味を知る事は難しい。

 

欧米に長く出ているアジア人は誰でも、差別されていることを感じなくてはすまない。行列にそれとなくアジア人の前を選んで割り込みをしてくる白人は多い。

 

ニューヨークでホテル精算を待っていた友人の前に太った白人が割り込んできた。もちろん彼女は黙っていないで「ちゃんと後ろに並んでください」と言う。しぶしぶ後ろに行く白人が聞こえよがしにつぶやいた言葉が「yellow monkey…」だった。これは誰が見ても不当な差別的態度である。すかさず「white pig…」と返した彼女は立派だった。

 

 有名なレストランに行って、日本人が最上の席に通してもらう事はなかなか難しい、というのはどうなのか。同じように差別的態度なのか? きっとそんなレストランでもはじめは金払いの良い日本人客に上席を出していたのかもしれない。

 

しかし、上席に座ったお客が…大声で話す、頭上が曇るほどタバコをふかす、スープをすする、くしゃみをする…。そういった行いを目にすると、次からニホンジンには良い席を出したくなくなってくる。レストラン内ではそれも理由のあることであろうが、その他の場面でも、レストランスタッフの意識が人種差別に染まっていくのは止められない。

 

 これを我々日本人は理不尽な事に感じるだろう。しかし日本のレストランでも同様な事は対象を他のアジア人などに変えて、きっと行なわれている。「外国人お断り」の札を出して訴えられた商店があったが、「今までいくども外国人に万引きされた故に」という理由を聞くと気の毒である。

 

こういったあからさまな反応が出てくるのも人種差別になれていない日本人ならではのことだ。アメリカなら「訴えられれば負ける」とすぐに分かるこんな単純な差別はしない。もっともっと、狡猾で陰湿である。

 

こうして個人的な経験というのは、どんな教育よりも強い力で人種差別を作り上げていく。