**旅という「種」を埋めよう**
先日の《手造の旅》南イタリア、ふと参加者の平均年齢を計算してみると、四十七歳だった。
びっくり? 実は、今回の《手造の旅》には最年少9歳と13歳の兄妹の参加があり、ぐっと平均年齢をさげてくれていたのだが、この二人を除いて計算しても平均年齢はだいたい五十五歳。
小松自身がちょうど真ん中ということになる。

海外旅行添乗をはじめたころは、いつも自分が最年少で親世代をお連れするというのが多かった。それが今は叔父叔母兄弟世代、そしてついに自分の子供よりも下の世代と旅をしている。
いずれ、自分が最年長、という日がくるかもしれない。その日にも、自分がいちばん元気で旅できるようにしなくては。

春休み・夏休みには、小・中学生がヨーロッパの旅に参加する。大人にまじってつまらなそうにしているシーンを何度も見てきた。 なので、今回《手造の旅》では、訪問都市や見せ方について、企画段階から考えてきた。内容を子供向きにするというのではなく、体験型にするのである。地下にもぐったりケーブルカーに乗ったり、洞窟ホテルに泊まったり。体験型の旅はどんな世代にも印象深くなるものだから。

9歳と11歳の二人、楽しんでくれたかなぁ。
結果がどうだったか、すぐには分からない。五年、十年過ぎて、どんな小さなことでもよいから、彼らの中で今回の旅がきっかけになった出来事が熟成していてくれればいい。

ひとつ旅することは、心にひとつ「種」を埋める事。
芽を出し育ってゆくかどうかは約束されていないが、その後の人生の大きな可能性を与えてくれる「種」である。人の生きる環境はずいぶん違うから、いろんな「種」を埋めておくほうがよい。

言葉が通じない人とのコミュニケーションはどのようにすればよいのか。知らない食べ物を出された時、どのように対応すべきなのか。人の信仰する宗教にどのように敬意を払えばよいのか。
こうしたすべての戸惑いに、ちゃんと向き合っていくことが「種」になる。

実は日常でも、こうした「種」はたくさん見つかる。しかし、旅のシーンでは日常の何倍もの密度で「種」に出会える。日本に居てはけっして出会わない「種」もたくさんある。

小松がはじめて外国を旅した三十年前、いろんな「種」が自分の中に埋め込まれていた。
埋めてくれた人は、もう会えない人も多いけれど、やっと今、何かの実を結びつつあるのかもしれない。いつのまにか、自分が「種」をうめてゆく立場にいる。

今回の南イタリアを一緒に旅した9歳と11歳が、自分の中に「種」があったと気付く日がくるだろうか。
その時自分がもういなくなっていても、彼らがそう気づいてくれなかったとしても、なにも悔やむことはない。「種」を埋めるというのは、もともと自分が見られない未来への行為なのだから。
芽を出さなくても、実をつけなくても、実をつけてもそれが突然壊されてしまっても、それはきっと次の「種」につながってゆくだろう。