偶然手元に来たカナダの記念コイン、「1812年」とカラーで強調された25セント。画かれていたサラベリーという人物について調べるうちに、ケベック人の複雑な心情が少し理解できた。

「イギリスとの戦争に勝利したら、あなた方はまたフランス人にもどれるのですよ」

新興国アメリカは、このぐらいの事は言ったに違いない。

 

祖国フランスがイギリスに敗れ、カナダの地でイギリスに支配されていたケベックのフランス人には魅力的な提案だっただろう。

 

一方、イギリス側はケベックのフランス人に対して別の考え方で説得した。「アメリカに占領されたら、カトリック信仰と貴族制は破壊されるだろう。 我々イギリスはあなた方フランス人の権利を保障する法律を通し(1775年ケベック法を指す)すでにあなた方の第二の祖国である。それでもアメリカに味方するか?」と。

 

ケベックのフランス人社会では意見が分かれた。第一の祖国フランスでは革命がはじまり、貴族階級と教会がひどい破壊をうけている。いったい我々はどこへ向かえばよいのか。

 

1812年にアメリカはイギリス領カナダへの侵攻を開始、翌年、十月にはケベックの本拠であるモントリオールのすぐ南まで進軍してきた。

 

力で押してくるアメリカに、ケベックのフランス人は言葉の壁を越えてイギリスを支援することに決する。だが、もともと人口が少ないフレンチ・カナダにはまともな常備兵はなかった。

 

シャルル・ド・サラベリーはフランス貴族だがケベック生まれ。十四歳から軍歴をはじめ、この英米戦争がはじまった頃は三十代前半。彼は志願兵を募り、インディアンと連合して立ち向かう。

集められた兵力は二百人のモフォーク族インディアンを含めて千五百ほど。

アメリカ軍兵力は正規兵を中心に約四千。

 

数では圧倒的に不利だったが、ここを破られればモントリオールが危ないという、セントローレンス川を後ろにしたまさに背水の陣。

 

18131026日、地形の利を周到に考えて待ち伏せたフレンチ・カナディアン部隊は、三倍近いアメリカ軍を撃退し、サラベリーは一躍英雄となった。

 

「コインも紅葉してる」と言って小松の手元にもってこられたその記念25セント硬貨は、カナダのシンボルであるメイプルの葉が赤くカラーになっている珍しいものだ。

 

紅葉を記念したわけではなく、歴史的な年号「1812」を目立たせるように赤く印刷されていた。

一緒に描かれた人物の横にはSALABERRYと刻まれている。フランス人か?

 

だが、ガイドさんにきいても、地元のドライバーさんにきいても、この人物が誰なのかちゃんと教えてくれる人には出会えなかった。

 

数日後、答えをくれたのはナイアガラにある19世紀当時のフォート・ジョージという砦を再現した場所にいたイギリス兵(の格好をした)案内役の人。

 

「こんなコインをみつけたんだけど」と見せると、

「ああ、これはケベックのフランス人でイギリスに味方して参戦した人物だよ。当時のケベック人は『アメリカにつくのか、イギリスにつくのか』と問われていたので、行動で立場を示したんだ」

明快な解説だった。

 

小さな記念硬貨 が、外国人旅行者にちょっとした歴史の旅をさせてくれた。