2006年記

**

「この中には八千体の遺体が埋葬されています。入り口に二人の修道士がいますが、彼らは生きていますので、彼らにお金を支払って下さい」と現地のガイドさんが笑わせてくれた。 が、しかし、入ってみた地下は笑えるような場所ではなかった。

 

シチリアのパレルモにあるカプチン派カタコンベは、イタリア中でも屈指の印象的な埋葬地であろう。1599年にはじめての保存処置をされた遺体が納められた。はじめは修道士のもののみだったのだけれど、希望により拡張されて、一般の人々も埋葬されるようになったという。

 

カトリックの教会に入ってよく見かけるものの中で、我々日本人の目から見ると「え!なんで?」と感じさせるものの筆頭は、祭壇に人々から見える様に祭られた、聖人の遺骸だろう。いかにありがたい聖人のものであっても、人間の遺体を見えるかたちで人前に晒すというのは、日本人の感覚からは恐ろしく思える。

それが、もっとも大規模に行なわれているのが、このカタコンベである。ローマのベネト通りにも同様のものがあり、「カプチン派の骸骨寺」として日本語の地図にも載って入るけれど、パレルモのそれは規模として、また訪れる人に与えるインパクトとして、ローマのそれを上回る。 

 

修道士のセクション、貴族男性のセクション、プロフェッサーといわれる知識人、技能者のセクション。内部は思ったより広く、それぞれ俗世の時の社会的立場で分けられている。衣装も遺体を飾られる場所も、時代やその人の属した社会を反映している。死してなおこのように類別して葬られるスタイルに、「神の前の平等」をうたう宗教の現実的な一面が見える。死してもなお、ひとは社会から離れては生きられない。いや「存在」できないのであろうか。

 

女性のセクションと子供のセクションは、すでに縁者の男性が埋葬されている場合のみ受け入れられたそうである。

 

未婚女性のセクションでは、「SONO VARGINI(私達は乙女である)」と大きく書かれた壁に、絹のドレスを着て立ちつづける。時にはキリストと契りを結んだという意味の冠を被った姿で、壁に引っ掛けられた元乙女の姿がある。高そうな衣装は生前の彼らの社会階層を見せるのには役立っている。しかし、魂が抜け落ちて干からびた人体がそれをまとっていることからは、既に美しさは感じられようもなかった。彼女達は本当にこんな残され方を望んでいたのか?と思わざるをえなかった。

 

強烈に「存在し続けたい」という思いが、このような施設を作らせたのは分かる、しかし、存在というのをこんなにまでして残す必要が、本当にあるのだろうか、そう思う。

 

古代のファラオの墓を見ても、秦の始皇帝の廟をみても、人間が永遠に存在しつづけたいという思いは根源的なものだ。そして、それが巨大な墓を築かせる。

いままで全ての人間が例外なく避けられなかった「死」。それに対する恐怖が、そうさせるのかもしれない。この世の全てを手に入れた始皇帝は、最後に不老不死の妙薬を探したという。同じことは「怖れ」によって、これからも何度も繰り返されていく事に違いない。

「先立った者の平安は、後に続くものの恐怖を弱めはしない」といったのは誰だっただろうか。

 

私には不必要に思える「存在」を今なお保ち、壁に掛けられたまま何百年も壁に立ちつづける人々の間を、私達束の間の生者は20分ほども見て歩いた。 そして、最後に出会った二才の少女の遺体についてのみ、私は唯一遺体を残す事の意味を感じることができた。

 

ロザリア・ロンバルドちゃんは192012月に二才で亡くなった。そして彼女の遺体は今でも眠っているかのような、美しい顔をしている。

 

第一次世界大戦の終わった時、ロザリアちゃんの父親は敗戦国イタリアの将校だった。彼女が亡くなった時に彼はそこにいなかった。 帰還する事が出来なかったそうだ。20世紀はじめの事である、彼女が死亡した連絡さえ父の元に届いたのかどうか。 

 

いつか虜囚の身から帰った来た父が、娘の死を知った時にどんな思いがするのか。

愛した娘の存在が、帰ってみると掻き消えていて、ただ墓碑だけが残されたのを見るとすれば、悲しみはどこへたどり着けばよいのか…。埋葬する事はしなければならないが、ただ墓碑だけを見せるのはしたくない。そう思った遺族が、ソラフィアという医師にたのんで、彼女の遺体の保存を頼んだのだった。

 

医師は薬品注入によりこの奇跡的な保存をおこなったと言われる。見るとそれは、本当に「眠るがごとく」に埋葬されている。彼女を愛した人達が髪に結んだ、金色のリボンもかわいらしくみえるほどに美しい顔をしている。人間の尊厳を保った、稀有な「保存された存在」だった。触れれば、柔らかく思えるような頬をしていた。

 

カタコンベ側も、既に埋葬された男性の縁者がなければ、婦女子の遺体は受けいれない、という慣例を破って、ここに彼女の遺体を保存する事を許可した。

 

彼女の父は、いつこれを見たのだろうか。ロザリアちゃんの「保存された存在」を通して、その時の父の悲しみが伝わってきた。私がその日出会った「保存された存在」の中で、「存在を保存する」ことの意味を充分納得する出来た、これが唯一の例であった。

 

★保存にたずさわったドクター・ソラフィアはその素晴らしい保存方法を秘密にしたまま死んでしまった。薬品注入によるという以外は、現在でも詳しい保存方法はわからない。