2002年記

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『「お前の国は危険だ。次に爆弾落としてやる」なんて言われたらどう思う? アルカイダなんて見た事もないよ。どこにいるのか言ってみろよ。』モガディシオ出身のハッサンはそう言った。

 

ドイツ・ハイデルベルグのとあるホテルに、いつもにこやかに良く働く黒人がいて、私は彼を見覚えていた。重い日本人のスーツケースをたくさん運びながらも「はいぃ、コニチワぁ、ゼンブでにじゅうごこ、ソウデスネェ」なんてニコニコ喋っている。何年か毎に見かけるが、その度に日本語が上手くなっていくのだ。ある日の夕方ホテルへ帰ってくると、そのハッサンが花壇に水をやっていた。

 

「君はどこから来たの?(英語で)」という私の質問に、はじめは「私はドイツからきた!そうでしょ」と笑って答えるだけ。しかし私が何度も真面目に尋ねると、やっと答えが返ってきた。「どこから来たと思う?」「アフリカでしょう?」「モガディシオだよ。知ってるかい?、私はイスラム教徒だ。でもアラブ人じゃない」と話し始めた。「もう15年ドイツにいる。10年、ずっと税金を納め続けてきて、ドイツ国籍もとった。こっちで結婚した。」

 

ソマリアという国について、その時私が知っていたのはわずかだ。首都はモガディシオ。国連の平和維持軍が駐留して、暫定政府を支えているということ。アメリカが一時「飢餓から人々を救う」という名目で侵攻したけれど、多くの犠牲を出して撤退した。こんな事ぐらい。過去の歴史も民族も知りはしなかった。

 

ハッサンは話しながらだんだんとエキサイトしてきた「アルカイダなんていないよ。見た事も無い。それなのにアメリカは我々の国を爆撃しようというんだ。『平和の為』といってね。ブッシュはちょっとここ(アタマをさして)おかしいよ。ソマリアがアメリカに何かしたことがあったか?信じられないよ」

 

こう言われて、私は思った。もしアメリカ軍が侵攻したら。モガディシオの普通の人々は、きっとアフガンの人のように、突然わけもわからないで爆弾にさらされる。ハッサンの親戚など、私たちと同じような、普通の人々が突然に戦場に放り出されるのだろう。自分の家に突然爆弾が降ってくるのでは、どんな相手にでも憎しみを覚えずにいられない。

 

「そうだろうなぁ、ハッサン。君がアメリカを憎く思うのもわかるよ」と答えた。

 

帰国後、ソマリアという国をしっかり認識していなかった私は、少々調べてみた。すると、ソマリアは私が思っていたよりも、未だに苦悩深い状況にあることが分かった。そしてなお、今日の日本の新聞にはモガディシオでの戦闘の事が載ってさえいた。そうか、ソマリアはハッサンが国を出た15年前とくらべて、状況は少しも良くなっていない。少なくとも外国人にとっては、未だ相当に危険な状況である。一般の人々とて、いつ内戦に巻き込まれるか分からない。いや、モガディシオには「我々のような」普通の市民はいないことはよく分かった。

 

これはアメリカが軍事介入することに何の説得力も与えないけれど、ソマリアは映画「ブラック・ホークダウン」のモデルになった事実のように、充分アメリカとも戦った。ソマリアはとても普通じゃない。だからこそハッサンもこうしてハイデルベルグに15年いるんじゃないか。「ソマリアはとても人が住みたくなる国じゃないんだね。」と私は勝手に理解した。


…でも、覚えている。ハイデルベルグで最後にハッサンはこう答えたっけ。

私「ハッサン。君はソマリアへ帰るのか?」

ハッサン「もちろんだ!なぜかえらないと思うんだ?」

 

そうか、どんな祖国であっても国には帰りたいと思う。たとえ今彼のいるドイツが祖国の20倍も100倍も豊かであってもね。

 

これから先ソマリアのことを耳にしたら、私は必ずハッサンの事を思い出すだろう。彼は私のはじめて出会ったソマリア人である。