「ああ、あの日はよく晴れていたっけなぁ~」
山で撮った写真をひっぱりだして思い出す。
しかし、旅は晴れの日ばかりじゃない。
マッターホルンの絶景が見られるはずの展望台が、雲でなにも見えないこともある。
山頂だけが雲に隠れて見えないなんてことは、もっとよくある。
それでも記念写真は美しく残したいのが旅の常。
そんな時、展望台の写真屋さんが「マジックかけときますか?」ときいてきた。
「マジック?」
最初何を言われているのか分からなかったが、説明をうけて、それは団体写真にかける「ホンモノの魔法」だと思った。
団体集合写真のバックに「見えるべき」マッターホルンに雲がかかっていても、実際には霧で見えなくても、出来上がった写真には雲がとれてすっきりと登場させてしまうのである。
あたかも雲が無かったように差し替えてくれる。それを「マジック」と呼んでいたのだった。
「差し替えときますか?」より、よっぽど気がきいている呼び方だ。
え?それって、ウソつきじゃない?
はい、ウソつきでいいのです。
人は自分の記憶を、都合が良い方向へ変化させてゆく。意識的ではなく、しらずしらずのうちに。人間の記憶はうすれてゆくものだから、理想的にマッターホルンが見えている写真が残っていると、だんだんと、そちらを信じてしまう。山頂にかかっていた雲は記憶の中でだんだんと晴れてゆく。
旅の写真を友人に見せて「そうそう、この記念写真を撮った時だけ急に晴れてねぇ」とか、話をしてうらやましがられたりする(笑)それで、良いのです。
記憶は美しくあるべし。
けれど、ひどい雨でまったく見えなかったような時にはこの「マジック」はさすがに無理がある。
では、そんな時の旅は残念で、楽しめないのだろうか?
自分自身の体験を思い出すと、悪天候のスイスでも楽しかった記憶がいくつもよみがえってきた。
ロートホルン山頂のホテルで上映会をしたり、霧のピラトゥスクルムホテルで景色を気にせずラクレットを食べたり、山頂のホテルで閉じ込められてダム堰堤の中を通して脱出させてもらったり、大雨で大迫力の川の渓谷を歩いたり。おもえば、予定した青空でなかった時の方が、記憶に残る事々が起こっていたのだった。
「マジック」は写真の山をちょこっと見せてはくれる。
けれど、後々楽しめる記憶を残せる人は、「マジック」になどたよらなくてもよい。
その時にあたえられた状況を楽しむ。楽しめるように行動する。
小松はそういう旅をしたいのだと、「マジック」を勧められて気付いた。
「マジック、なくてもだいじょうぶです」